現在、米国自動車殿堂にメンバー入りしている日本人はこの4人。
(名前の前の年数は 殿堂入りの年を示す)

1989年
本田宗一郎(1909〜1991 )
「エンツォとならぶ20世紀最高のエンスージャスト」

1994年
豊田英二 (1913〜)
「工場の申し子」

1997年
田口玄一 (1924〜)
「米国を蘇らせた男」(タグチメソッド)

1998年
片山 豊(1909〜)
「ダットサン Z カーの父」
米国の自動車殿堂
1939 年に発足した機関、米国自動車業界に功績を残した人物を表彰。米国ミシガン州ディアボーンの壮大なフォード博物館の隣にこじんまりとした自動車の殿堂(Automotive Hall of Fame)の建物がある。世界の自動車産業発展に偉大な貢献をした方々が、今日までに二百人近く顕彰登録されている。日本人では本田宗一郎、豊田英二、片山豊(元米国日産社長、60−70年代の名車ダットサンZの開発・普及促進に尽くす)および田口玄一(品質管理法の普及に尽くす)の4人がここに顕彰されている。職人かたぎの自動車界の巨人、優れた自動車技術者、卓越した経営者、自動車の普及促進に貢献された方々の業績が手際良く紹介され、業界発展の歴史を概観するには最も優れた博物館といえる。



ミスターKこと、片山豊 - DATSUN Zの父と呼ばれる男

片山豊氏は、米国日産初代社長、そしてダットサンZ の生みの親として今やZマニアには神様的存在であるに違いない。そんな彼は、1960年3月、新天地米国にわりダットサンのブランドアイデンティティを確立すべく、米国での自動車市場において何が必要かを見極めた上で1969年、ダットサン Z カーを米国に持ち込み、 100 万台以上販売した人物である。当時だれもこのダットサンZが米国でここまで売れるとは想像もしていなかったと、当時を知る人間は語る。「自動車が好きな人間」が考え、残した業績は素晴らしいものであった。

しかし、彼にとって不幸とも言うべき現実があった。当時の日産石原社長は片山豊氏とはライバルであったため、片山豊氏が米国で創り上げた、ブランドイメージや業績などの全てを憎んでいた。そのため、米国での任期を終え、日本に帰ってきた時、日産の役員にも迎え入れられず、片山豊氏の名前は事実上抹殺される形となった。また、片山豊氏の名前を消すだけでなく、片山豊氏が米国で育て上げたDATSUNのブランドネームも一部のトラックを除き消し去った。その後も日産社内では片山豊氏の名前はタブー視されることとなった。

このDATSUNの名前をNISSANに変更したことにより、米国民のなかには「業績の悪化した日本のNISSANという会社が、DATSUNを買収した」と勘違いする人も多く、著しくブランドイメージを低下させたと、関係者は語っている。

また、片山豊氏が1998年11月に米国の自動車殿堂入りと言う、日本人として誇るべき功績を残したニュースは、日本ではほとんど報道されなかったため、一部の関係者を除いて知る人は少ない。これも、日産の広報が圧力を掛け報道を抑えたためと、関係者は語っている。




これらのことは、2001年5月25日に放映された朝日テレビ系「サンデープロジェクト」で多くの人々に知れる事となったが、これは同「サンデープロジェクト」第72話で「日産再建」を取り上げた際、「日産には経営陣に自動車が好きな人がいなかった」と評論家に指摘された放送後、日産から「日産には片山さんがいる」との話があったようである。そう、片山豊はゴーン社長によって20年の封印を解かれた。そして次期Zの復活、片山豊の遅すぎた復活が決まった。2002年1月のデトロイトショーでは片山氏の映像とともにZ-Conceptが発表された。

おまけ:

私は1989〜1991年と1995〜2000年の間、某Zcarクラブの会報誌の編集を行っていたことがある。その中の1998年6月に発行された会報誌の中に、片山豊氏のAutomotive Hall of Fameに関するエピソードが記述されている。その時の会報誌の記事を以下に紹介する。
これは、その某Zcarクラブ会長へ届いた一通のメールの内容で、片山豊氏がペンシルバニアで行われたアメリカZカークラブのコンベンションに参加した帰路での出来事である。

Mr.K 1998年度オートモーティブ・ホール・オブ・フェームに!

1997年の7月、片山豊氏は恒例のペンシルバニア州ヨーク市で開催された、アメリカ・Zカー・クラブのコンベンションに参加した帰路、ミシガン州デトロイト市に立ち寄って、旧友のハンス・ブレッツナー氏やスタン・パーカー氏などと旧交を暖めた。また、友人のハワード氏の案内のもと、GM・テクニカル・センター及びクライスラー・テクニカル・センター等を歴訪した。各社の訪問が済んだ最後の日、ハワード氏と共に、ディアボーン市にあるヘンリー・フォード・ミュージアム・アンド・グリーン・ビレッジを訪れ、歴史の世界にタイムスリップをして大いに楽しんだ。

時たま博物館の脇に「オートモーティブ・ホール・オブ・フェーム」が建設中であり、ハワード氏はここの広報部長と親しく、建設中の内部を見せてもらい、ドナルド・アダムス氏を紹介された。アダムス氏は会うなりいきなり「貴方がMr.Kですか!」と親しげに片山氏と握手、(もっとも、この言葉はアメリカを旅行している間中どこでも聞かされ、慣れっこだったが)これがきっかけで「Mr.K」が「オートモーティブ・ホール・オブ・フェーム」(自動車の殿堂入り)になろうとは、その時は夢想だにしなかった。

1997年10月末、ハワード氏から興奮気味の電話が入った。「Mr.Kが1998年度の殿堂入りにノミネートされた!」と・・・・。そして1998年11月、栄えあるMr.K殿堂入りの受賞が予定されている。