日産・フェアレディ・オーナーズクラブ  

ダットサン・スポーツDC-3は「フェアレディ前史」と言うべきスポーツカーである。初代ブルーバードが誕生する8年前、日本の乗用車の生産台数がまだ4千台に充たない1951年頃、この車の原型は誕生している。それは、スポーツカーに情熱を注いだ若い技術者達が、勤務時間後に手作りで少しづつ仕上げていった車だった。正式な計画のもとに作られた車ではなく、フレーム、エンジン、ミッションなど主要部品はすべて戦前のトラックからの流用であり、これにオープン4シーターのボディを架装したものである。

試作段階のDC-3は、草レースに出場して優勝をおさめる。自動車レース自体が珍しかった当時、それが社内でも話題となり、この車の生産が正式に決定されることとなった。試作、改良のすえ、1952年1月DC-3は日本で初めてのスポーツカーとして市販された。価格は当時の金額にして83万5千円、生産台数は50台であった。

860ccのサイドバルブエンジンは最高出力わずか20馬力、ウォームギアを用いたデファレンシャル、はしご型フレームに付けられた全輪リーフリジットのサスペンションなど、メカニズムには隔世の感がある。しかしながら、この車の持っていたスポーツ・スピリットは、現代においても決して色あせるものではない。「凄まじいエンジン音を響かせて走った」とDC-3を知るエンジニアは熱い口調で語った。

デビュー後まもなく、千葉の茂原飛行場で、わが国初の国際スポーツカー・ロードレースが行われた。ここに参加した2台のダットサン・スポーツは、ジャガーXK120、MG・TD、モーリス・マイナーなど欧州の一流スポーツカーに交じって健闘。69マイルレースで1周(2.3マイル)のラップ2分43秒(時速約80km/h)と言う上位の成績を収めて入賞した。(残念ながら順位の記録は残っていない)

エンジニア達の情熱、古典的ながらもスポーツカーらしいスタイル、モータースポーツでの活躍・・・DC-3には、すでに生粋のスポーツカーとしての原点があったと言っていい。フェアレディ誕生の期待に満ちた1台の車である。

(Photo/Text : NISSAN SPORTS 1995 CALENDARより)