日産・フェアレディ・オーナーズクラブ  

1978年8月に発表されたS130 の開発は、74年後半から調査活動が始められている。この年、世界で第一次オイル・ショックの混乱が続いていた。省資源、省エネルギーなどの社会的要請や、自動車安全規制の強化、公害規制強化などは日本の車社会にも大きな影響を与え始めていた。80年代に向け、スポーツカーを取り巻く環境はこれまでになく厳しいものとなり、その開発は大きな転換を余儀なくされていたのである。

開発はまず「スポーツカーとは何なのか」という原点に立ち戻ることから始められた。フェアレディーZの「1980年代のスポーツカーとしてあるべき姿」とは、”社会とスポーツカーの調和””人間とスポーツカーとの融合”という二つの大きな姿勢であった。時代の要請は、ただ単に”速く走る”スポーツカーではなく、”快適に、また安全に速く走る”という要素を強く求めていたのだ。それは、社会に適応したソフトの充実を図るとともに、スポーツカーとしての高い性能水準を維持するという、二つの理念を両立させることを必要とする。S130型の開発は、このようにつねに対立する二つの理念を命題とし、それをひとつひとつ解決することにより、具体的なアプローチがなされていった。開発期間を通じ、「止揚の美学」(対立する二つの事柄を容易な妥協ではなく。高いレベルで解決すること)が最重要理念として揚げられたのである。

その結果生み出されたS130型は、圧倒的な支持を受けたS30型のスタイリング・コンセプトを継ぐ承しながら、バンパー上部のグリルを取り去るなどの空力的な洗礼を受け、Cd値=0.38という、当時としては優れた空力特性を持っていた。また、スポーツカーとしては比較的ゆとりのある室内、トリム類のソフト化と色調の調和により、パーソナルな空間が用意された。さらに、日本で初めて2753ccエンジンを搭載した280Z・HS130型も発表されている。

S130型は、特に北米において、女性をはじめとする幅広い層に圧倒的な支持を得、米国「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞、米国での”Z-car”というブランド・ネームは、このS130型で確立されたと言っても過言ではないだろう。人々がスポーツカーのオーナーであることに満足していた70年代から、スポーツカーのドライビング自体の楽しみを求める80年代へ向けて、フェアレディーZは華麗な変革を遂げたのである。

(Photo/Text : NISSAN SPORTS 1995 CALENDARより)