日産・フェアレディ・オーナーズクラブ  

1957年11月の自動車展示会(現在のモーターショー)に、美しい曲面を持つFRPボディのスポーツカーが展示された。ダットサン・スポーツS211と呼ばれたこの車には、まだフェアレディの名は与えられていない。

当時、日本の自動車技術は着実に進歩を重ねていた。1958年には、ブルーバードの前身であるダットサン210がオーストラリア・ラリーに出走。約1万6千キロを走破し1000ccまでのAクラスで優勝している。これによって日本の自動車技術は、初めて世界に認められるものとなった。

このような技術的背景に立った上で、S211では真にスポーツカーと言うべきスタイリングへの挑戦がなされた。当時としては画期的なFRP製のボディが考えられたのは、軽量化と共に微妙なアールを描くボディラインを作り出すためだけだったと言う。しかしながら、この時代のFRP技術では多くの台数を生産することが出来ず、1959年11月に市販されたが、わずか20台作られただけで生産は終了した。

翌年の1月、S211 のスタイリングを受け継ぎ、ボディのスチール化と走行性能の向上を果たした新しいモデルがデビューする。SPL212の型式名を持つこの車に、初めて「フェアレデー」の名が付けられた。型式のPは、高性能エンジン、Lは、左ハンドルを意味する。その名のとおり輸出専用モデルであった。

フェアレデー(後にフェアレディと改称される)SPL212は、前述のようにS211に対していくつかの技術的進歩を見せている。シャーシ、エンジンはブルーバード1200からの流用ではあるが、フロントサスペンションがトーションバー式の独立懸架になったことは大きなポイントだろう。当時の技術スタッフが試作を重ね、実用化のチャンスを待っていたトーションバー式サスペンションが、まずこの車で生かされる事になった訳だ。スポーツカーはいつの時代にも、最新の技術が駆使される場である。

SPL212は224台が生産され、1960年に、43馬力から55馬力へとパワーアップされたSPL213へと移行する。残念ながら、これらは輸出用であったため、現在日本に残っている初代フェアレディはきわめて少ない。しかしながら、日本のスポーツカーの歴史の上で、北米大陸を初めて駆けたスポーツカーとしての意義は大きい。

(Photo/Text : NISSAN SPORTS 1995 CALENDARより)