日産・フェアレディ・オーナーズクラブ  

1962年10月、国内向けに初めて、”フェアレディ”がデビューする。フェアレディ1500・SP310型は、60年代特有のスマートなボディに直列4気筒OHV1488ccエンジンを搭載、リアに横向きのシートを持つ、変則的なオープン3シーターであった。

1960年代のスポーツカーはレースを抜きにして語ることはできない。新しい”フェアレディ”は、日本のスポーツカー黄金期の幕開けを告げるニュースも生み出した。1963年5月、鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリに一台だけエントリーしたワークス・フェアレディは、ポルシェ、MG、トライアンフTR4を相手に激烈なるデッドヒートを繰り広げ、見事GT-。レースで大差の優勝を果たしたのだ。

1965年5月にはボア・ストロークを変更し、排気量を1600ccに拡大したSP311型がデビューする。最高速度は165Km/hに達し、ドラム・ブレーキからディスク・ブレーキへ、変速機もポルシェ社製のサーボ・シンクロを採用するなど、様々な新技術が加えられ、国際的に十分通用するスポーツカーとして、北米でも大きな人気を集めた。

そして1967年3月、フェアレディは2000ccのSR311型へと発展する。フェアレディ1600のスタイリングを継承し、910kgの軽量ボディーに、新しく直列4気筒SOHC1982ccエンジンを搭載、最高速度は205Km/hに達した。SR311型は、オープン・2シーターのフェアレディの歴史における、ひとつの頂点ともいえる高性能モデルであった。

フェアレディ1600と同様、この2000もレースで無敵を誇った。1967年5月、鈴鹿サーキットで開催された第4回日本グランプリでは、総合1位から3位までを独占。国内レースのGTカーレースは、まるでフェアレディ2000だけのレースであるかのような、広がりを見せた。

1968年1月、第37回モンテカルロ・ラリーにも左ハンドルのフェアレディが挑んだ。”雪と氷のラリーに重いプロペラ・シャフトを持つクルマは絶対的に不利”と言われる中で、赤い車体に特性の赤いハードトップで身を固めたSRL311は、総合9位、クラス3位入賞を果たした。フェアレディ2000がいかにバランスの良いFRスポーツカーなのかが、世界が注目する中、実証されたと言えるだろう。

(Photo/Text : NISSAN SPORTS 1995 CALENDARより)